シャネルポーチの最新情報

シャネルのポーチと【シャネルの歴史 その3】

シャネルポーチ【pouch】は女性との関わりを大切にするシャネルの中で必然だったのかもしれませんね。
化粧品や小物を入れる小さな袋にすぎない「ポーチ」が自分のセンスを主張するファッションアイテムに変わる。
今でこそ当たり前の「感覚」がまだなかった時代、シャネルは時代の先端で自分を主張続けました。

・・・でも 今でこそシャネルの精神は「女性の心と身体の解放」などと言われますが、シャネル自身がそういう思想を持っていたかどうかは実のところわからないのです。
分かっているのは、ココ・シャネルがそのような発言をしたことはない。という事だけです。
 もしかするとこんな「テーマ」もまた後からシャネルの持つブランド・イメージを強化するために作られたイメージなのかもしれませんね。

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1914年に第一次世界大戦が始まります。
人々は専業軍人の戦争から、容赦なく市民を巻き添えにする戦争が歴史を作る世界史を目の当たりにする事になります。
そんな時代の変化の波の中でシャネルの感性が生み出すアイテムが女性たちに受け入れられます。

具体的には1914年にシャネルはパリから疎開してフランス北西部ノルマンディ地方ドーヴィルに移り住みます。
 そして同じくパリから疎開してきたセレブな女性たち向けに、安いジャージ素材を使ったシンプルで着心地がよくて、かつ革新的なデザインの服を作りました。

 シルクと宝石で着飾っていた上流社会の女性達に、当時は馬の世話をする人が着る素材だったジャージ素材で作ったシュミーズドレスは、大きな話題を呼び、アメリカの『ハーパーズバザー』誌に、「魅力的なシュミーズドレス」として掲載されます。
この後が いわゆる「シャネル黄金期」へと進む歴史となります。

コルセットで体を締め付けた服からの「解放」なんて今では言われていますが機能性重視のシャネルにとっては普通の事だったのかもしれません。
もしかすると、田舎の環境と戦争の影響のゆえの「不自由」と「制限」が新しい展開を彼女に与えたのかもしれませんね。
今でもシャネルのポーチなどシャネルのアイテムは普通の女性の生活に近い場所で機能的に使えるモノが多いです。

エピソードを調べてみるとイミテーションを大胆に使ったデザインなどは高級な宝石などを贅沢に身に着けていた社交界への批判要素もあったとか。そりゃ自分のセンスだけを信じて成功を目指すシャネルにとって豊かな生活で苦労をしらない社交界の人たちへ批判の気持ちはあったでしょうね。
シャネルのポーチなど小さなアイテムからも ココ・シャネルの人生の哲学が見えてくるような気がします。

さて人気を呼ぶシャネルの服、そしてパリにあったお店もクチュールのお店へと変化し シャネルの今につながる路線が見えてくるようになります。

そして1921年にはカンボン通り31番地へとブティックを拡張し、最初の香水となる「シャネル No.5」を発表。
そう、初期の頃からシャネルは「女性の身近なアイテム」に愛情と情熱を注いだのでした。もちろんポーチもそうですよね。

きっとシャネルのポーチもこういう女性のアイテムである服・化粧品・香水といった流れから必然的に生まれてきたのでしょう。
シャネルのポーチの中に見えるシャネルのメッセージはあなたに届きますか?

  受け取るより、与えることの方がはるかに嬉しい。 (ココ・シャネル)




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マリリン・モンローが愛用していたことで有名になったシャネルNo5のネーミングは、ただのフラスコの順番だったとか。
ココ・シャネルが5番目のフラスコを選んだことからno.5。
なかなか面白い小ネタですね。

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